学校はやっぱり聖域なんかではない

我が子が 酷いいじめにあった事

こどもたちだけではなく 教員からも…


でもそれだけでは このブログを立ち上げなかったかもしれない




こどもがいじめにあった頃
その「いじめ」に苦しんでいたのは 我が子だけではなかった

いじめによって 自殺に追い込まれた子
自殺を予告する子

苦しんでいる子供たちが 本当にたくさんいて

マスコミが それをあおっていると 報道の姿勢も問われた



そしてマスコミだけでなく 記者会見をして謝罪する学校の姿勢さえ 非難する
現役の教員がブログでこう叫んだ

「学校は聖域なんだ」
 「マスコミはそこに踏み込んではいけない」
「学校側も決して 
いじめを認めて謝罪してはいけない」


マスコミの追求も 学校がいじめを認めて公に謝罪するコトも
学校を混乱に陥れるだけなので

すべて現場の教員や当事者達だけに任せるべきであると
そうできる能力を 教員は持っている
わたしたちはそれが出来る・・・と


わたしはそれに対して 
『学校はすでに自浄能力を失っているのだから 現場だけに任せていてはいけない』
だから マスコミがそこで果たす役割はあるはずだと
誰かが その傷口を切り開き 膿をだすことをしなければならないと訴えた

当時 その言葉は 当の本人には届かなかったけれど…





その彼女は…

自分が指導している新米教員が ヒトのココロを全く理解できないだめな教員であること
それでもクビにできないこと
こどもたちが その犠牲になってしまうであろうコト

を さんざん嘆いている

こどもがどうしようもない教員に苦しめられたことを わたしがいくら訴えても
信じることをしなかったのに・・・


また 郊外学習の計画の中やその他の出来事で 公務員の無能力さを痛感したらしく

『公務員の能力の限界を感じた』
『このまま我が子を 公教育に任せる事ができないので 私立に進学させることを決意した』

やっぱりもう、「公」に完全に見切りをつけて
我が子は私立にやろうと心に決めた




ブログに高らかに宣言している


(当の彼女はまた 自分が美術館で騒いで注意されたことに対しても
その職員に対して「公務員って…」と逆恨みのコメントをしているので
どちらが悪いのか わたしにはわかりかねる…というか
やっぱりどっちも公務員だよなぁと 思うのが本音ですが;) 


そう 彼女自身も 彼女のダンナも 公教育の教員であるにも拘らず
我が子を公立に進学させる事ができないほど
公立の学校は 中身が腐っているのだ

我が子を通わせることすらできない学校のどこが
「聖域」なのだろう



もちろん私学だって いじめや不祥事がないわけではない
それでも 自由に選択する権利がああるし
公務員よりは容易く 問題教員の移動はできるだろう
改革にも たくさんの目がはいりやすい



やっぱり学校は 聖域なんかではないのだ
聖域として 閉じたままにしておいたら
腐敗はどんどん進んでしまう


地域の評議会も 教育委員会も
うまく機能しているとは思えない
教育委員会だって 同じ公務員であり 
互いにかばいあう体質は
いまだ変わっていないようだ


我が子は あと1年で高校を卒業する
大学では 専門を選び 今以上に学ぶ喜びを得る事ができるだろう


それでも 
いまだに「いじめもどき」の苦しみは続いているし

我が子ではなくとも いじめで命を絶つほど追い詰められている子供が
いまだにいることに 心が痛む



学校は決して 「聖域」 なんかじゃない



それでも この不況下 公立以外の選択肢を持たない人たちがたくさんいる


その公立学校の教員が 我が子を通わせられないと宣言する学校に
子供を預けなければならない 



そんな親の気持をいちばん判っていないのは
当の教員達だろう


自分たちは 保障された給与で 我が子を私学に通わせる選択ができるのだから…


そこに子供を預けなければならない わたしたちは

そこにしか 通えなかったことで 苦しみ続けているこども達を

どう救っていけばいいのだろう


少なくとも 学校を聖域として閉じたままにしてしまっていては
これからも 犠牲者が出続ける事は 間違いがない













 
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# by advantage-you-can | 2009-03-25 15:57

いじめ…いまだおわりのない苦しみ

yu-riです
大変ご無沙汰しております

ここでかつていじめに関して 書いた記事ではみなさまに
とてもお世話になりました
あらためて お礼を申し上げます



この記事を書いた当時…
おなじようにいじめを受けていらっしゃるお子さんを抱えていらした方
いじめに真剣に 対峙し 考えてくださった先生方
また それに反論する方々…


わが子がいじめにあったときに おなじようにいじめられて
命を絶ってしまった こどもたちの犠牲があって
社会が いじめについて真剣に考えた時期でもありました



それからの月日・・・いじめは大きく報道されることが少なくなってきました
それでもときどき 配慮のない先生方の記事が 紙面の片隅に
登場する事があります

きっと 今でも いじめはどこかで起きているのでしょう・・・


子供は いまは表面的には平穏に
ほとんど休むことなく 高校に通っています

取り上げられてしまった 学習の権利を取り戻そうとして・・・
いえ
それよりも 学ぶ事を妨げられない喜びに
頑張って学んだことで とても良い成績をおさめてきています

ただ それが同級生達のやっかみと 反感を買ったようで
軽いいじめのような状態があり
今でも ときどき 朝 体調不良になり
朝食を吐き戻し ふらふらになりながら 登校するという事もあるのが現実です


卒業前に ドクターが心配なさったように
きちんとした謝罪がないばかりか 卒業式にまで出していただけず
その後の対応まで いじめに等しい扱いをされた事で

子供の心には 大きな傷が残ったままです
同級生や 教員に対しての
恐怖心が 未だに苦しみと共に残っています


それを何とか乗り越えようと 吐きながらも 登校を続ける子供の
限界がいつ来てしまうのか 

それでも 頑張る子供の後ろで 見守るしか術のない日々…



いじめというものは それほど人の心を傷つけるのです


まだ 子供はマシなほうでしょう

学校にも行けて 学習意欲もあり
国公立を狙いたいと頑張っています
それだけでも 子供には目標があり 頑張れる意欲はまだ あるからです


子供とおなじ頃 いじめにあって 引きこもり状態になり
未だにそこから 抜けだせずに 対人恐怖症や うつや
ほかの症状に苦しみ続けているお子さんもいらっしゃるのです


いじめたほうは きっとそんな事は すっかり忘れて
高校生活を 楽しんでいるでしょう

自分では いじめたとさえ 認識できていなかったあの子達は
今でも おなじように ほかのお子さんに対して 
いじわるな視線を 送っているのかもしれません


もう 思い出す事をやめようとおもい
新たな道を 子供と共に 進んでゆく事

子供の苦しみは しっかりと見つめつつ
子ども自身が乗り越えてゆくことができるように
余計な手出しは しないこと



その他の事もあり ここの記事は 非公開にしました


大分の件があったからというわけではありませんが
公教育というものが 子供たちのためでなく
教職員の世襲化によって私物化され
また 自分達さえ 出世できればという思いが
学校という場所を 狂わせている事もあるのでしょう

また 短時間の痴漢だから クビにしなくても良いでしょうといった
訳のわからない理屈が まかり通る教員の世界

痴漢被害をしたほうは
「ちょっと触っただけ」のつもりでも
被害者のほうは 一生消えない恐怖と屈辱を
心に刻んでしまっているかもしれないのです

心の教育 道徳教育などといったところで
被害者の心の苦しみさえ理解しようともせず
「ちょっとだけなら OK」と判断するような先生方に教育される子供が

「いじめたって ほんの少しだから 良いじゃん」
「だいたい自分が言ったかどうかも 覚えてないし」

と 言い出すのは当然でしょう


たとえ どんなに良い大学に進学できても
これから どんなにいい 友人ができたとしても
どれだけすばらしい 恩師にめぐり合えたとしても


人生を狂わされた あの2年間を 
子供が忘れる事は 決してないでしょう


加害者が 終わったとおもっていても
被害者の苦しみは なかなか終わりません



せめて その事を
学校の先生は 知っていてほしいと思います

そうして その事を踏まえたうえで きちんと子供たちを導いてくださる事を
切に 望んでいます
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# by advantage-you-can | 2008-07-19 15:57

学校を聖域にしてはいけない

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いじめでの自殺が公になってから、教育界にはさまざまな問題が広がっている。

いじめでの自殺は文科省にも1999年から1件も報告されていなかったそうだ。

高校の問題もそうだ。日本中の高校が決まりを守っていなかった。


こんな事があっていいはずはない。ナゼそれが外に出ないのか?
それはいまの学校が閉鎖空間であるからではないのだろうか。
高校生にもなれば、何を学ばなければいけないのかを知っている子供も少なくない。こんな事を書いているヒトがいた。
「自分のときにもこんなことは行われていた。何かあったときが怖いから自分は世界史を選択したが、三分の二の生徒は世界史にまったく触れずに卒業していったはずだ。」
それを誰も外に向けて発信できない閉鎖空間。
それが社会に見えてこない。親も通知表の不自然さに気付かない。気付いた親だっていただろうにいえない。
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いじめにしてもそうだ。
どこの学校にもいじめがあるのは仕方がない。ある程度の集団には何らかの力関係があり、また、問題を抱えている子供がいても不思議はない。
いまのいじめは陰湿化しているので、昔のように見てすぐ判る『いじめ』と違い、教師にも気がつきにくいコトも判る。問題なのは訴えがあってもそれを無視し続ける環境がそこにあることだ。

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子供がナゼわざわざ学校で学ぶのか 学習面だけが大切ならばわざわざ学校へは行かせる必要はない。今ならネットでも塾ででもいくらでも勉強は出来る。
学校に行くというコトは、集団でなければ学べないさまざまな事を学ぶためで、小さな子供が社会に出て行くための練習の場だと思っている。だから、学校と社会が切り離されていてはいけない。そう思う。

塀のない公園ならばそこで子供達が遊んでいる姿は誰の目にも見える。危ない事をしていれば誰かが気付く。
そこに大きな塀があって誰からも見えなければ危ない事をしていても気が付かない。
その中にいる大人が気付かなければ、危険にさらされている子供は怪我をする。子供同士で気が付き、防げるものならばそれでいいかもしれない。
それが故意に行われているもの『いじめ』ならば誰も止めなければ命を失う。

d0069942_20575675.jpg「聖域」というのならばそこにいるのは『聖人』でなければならない。
残念ながら先生が聖人だとも、子供達が聖人だとも思わない。
正しい先生がいて、学校が正しく機能していれば、それでいい。誰もそこに土足で踏み込まないだろう。

機能していないからこそ

『いじめで子供が死ぬ』のだ。


まずそこからはじめて欲しい。学校を聖域にしてはいけない。触れてはいけない場所にしてはいけない。
子供を守るために親がマスコミを使わなければいけない状態にしてはならない。
きちんとした信念を持っていればマスコミへの対応は容易いはずだ。
何が正しく、何が間違っているか、それを持っているヒトは、学校は、正しく情報を発信できるだろう。
そこに気付いて欲しい。
ハイエナは生きている動物には近づかない。
屍肉にたかるのだ。
毅然とした対応が出来る学校、教師にはマスコミもそれなりの対応をするだろう。
まずはそこからはじめて欲しい。
機能停止しているのは学校である。だからマスコミに対応できずに右往左往するのである。

いじめがあったのならば認めればいい。それだけである。
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学校はいつでも生徒の味方でなけばならない
教師が子供に十字架を背負わせてはならない
そう言った教師が居る
ならば一番誰の味方をすべきか
いじめられて居る子供をまず守るべきである
いじめをしている病んだ子供を正しい方向に導くことはそのあとだ。
まず、いじめられている子を助けなければいけない
そうでなければまた尊い命が失われてしまう

いじめをした子供達は相手が自殺してしまった時点で十字架を背負ってしまった。
教師が、社会が、背負わせるのではない
自ら背負わねばならない。それを軽くするために共に背負うのが教師であり、親であろう。

そのために
まずはいじめを認めることである。
体を傷つけて死に至らしめれば、殺人である。
ココロを傷つけ死に至らしめた。殺人と等しい行為であることを自覚すべきだ。
平然と殺人に等しい行為が行われているにもかかわらず、さらにいじめられている子供が居るかもしれないその場所を『聖域』と呼んで閉じては絶対にいけない

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# by advantage-you-can | 2006-11-06 00:26